易経「繋辞上伝」を読み解く38

易経繋辞伝
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易経「繋辞上伝」を読み解く37
易経は書物ですから文字度居る読む者なのですが、読んで理解するよりも先に、「感じ」理解するという前提無しに之を理解することはできないと思います。
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易経「繋辞上伝」を読み解く38

この故に天、神物を生じて、聖人これに則(のっと)る。天地変化して、聖人これに効(なら)う。天象を垂れ吉凶を見(しめ)して、聖人これに象(かたど)る。河図(と)を出し、洛(らく)書を出して、聖人これに則る。易に四象あるは、示す所以なり。辞を繋(か)くるは、告ぐる所以なり。これを定むるに吉凶をもってするは、断ずる所以なり。(繋辞上伝第11章第7節)

この節、前節を承けて易経のその原理摂理の系統だった発展を説きます。

「 この故に天、神物を生じて、聖人これに則(のっと)る。 」

「この故に、天は神亀及び蓍(筮竹)を通じて天意を知らせ、聖人がその意を読み取るのである。」

漢字んな話スペシャル2 お咲ちゃん、甲骨文字を読む - ことばマガジン:朝日新聞デジタル

この句、「神物」を解説書は「亀卜」と解釈しこれを以て亀の甲羅と筮竹とします。

一方でこの句「天、神、物を生じて」とも読めます。この場合の神は「陰陽」の両儀であり天は陰陽を通じて物(八卦・64卦・現象)を表すのです。

孔子は繋辞上伝の中でも頻繁に「神」という言葉を多用します。その概念的、権威的序列はどのような解釈であったのかを整理すると、「天」を最上位とし、これを以て宇宙根源の太極であると考える。

太極を受けて生じる所の両儀陰陽の各々が「神」でありその作用から万物が生じる。それを受けて、その法則を見出し易経の摂理を体得した「人」が「聖人」であるという序列をうかがい知ることができます。

1に天があり、2に神はあり、3以下に人間であり最初に聖人、4に大人、5に君子、6に小人という序列となるでしょうか?

易経に登場する「神」には本来人格が存在しません。孔子は便宜的に人格を持たせますが、その役割はあくまでも万物を創造し、一方で役目を終えたものを還元再生しながら、生成発展を繰り返す…その作用その物が「神」なのです。

孔子は易経の中に「人格」を求める。この節の天においても神においても人格が備わっており、易経を介してそうした存在と相互にコミュニケーションを取ろうと試みます。

一方で老子は「道」と称しそこには人格を求めませんし、「道」から人間に直接コンタクトをとるようなことはしないから、人間の方から「道」に氣付き、あるいはそれを求めることをしなければ、天意も道の根源も知ることができないと突き放します。

ところで儒教の考え方は父権的であり、一方で道教は母権的です。ところが面白いことに両者は天に対し前者は母性を求め、後者は父権を求めます。

孔子は天は易経を通じ人間の進むべき道を指し示す「啓示」を下すと考え、人間や万物を育む母性を天に見出します。一方で老子はこれを「天地は不仁、万物を以て 芻狗 と為す」と、天の父権的な厳しさ、厳格さを指摘します。

つまるところ、儒教は父権的であり陽的であるから天に母性である陰を求め、道教は母権的であり陰的であるから天に父権である陽を求める…そこに両者共に思想的なバランスを保っている。それゆえに数千年という時を経ても尚、哲学の大典として色あせることなく今に伝わっているのだと感じます。

易占というものに思いを致しますと、占者が問いを発しませんと、その答えは示されませんから考え方としては老子に近い。求めたこと以外は答えないのが宇宙の法則ですから、ここは少し孔子の考え方を批判的にとらえて読み進めます。

「 この故に天、神物を生じて 」…冒頭でも指摘した通り、この句「神物」は亀の甲羅、筮竹と解釈するよりも、陰陽を通じた現象、及びそれを表した卦象と解釈する方が理解が進みます。これはその後に続く句の連続性からも明らかです。従ってこの句の解釈を以下のように改めます。

「 この故に、天は陰陽の作用を以てあらゆる現象を生じ起こす。聖人(伏羲)はその現象を八卦64卦象として体系づけたのである。 」

「 天地変化して、聖人これに効(なら)う。 」

「天地の変化、変動より聖人は易の卦象を見出し、その卦象より天意を知り範とするのである。」

もし前句の「神物」を亀の甲羅、筮竹と読み進めると「天地の変化」という句との連続性が見られません。

そこではすでに「易経」は成立しており、聖人はそれを体得したうえで既に易占を以て天意を知る手段を構築していることになるからです。

河図

しかし、易経を作った伏羲、更にそれを発展させた続く堯、舜、禹の聖王(聖人)…この節の後半「聖人これに象(かたど)る。河図(と)を出し、洛(らく)書を出して…」と記されるように、現れる聖人伏羲が見出だした「河図=神馬の背中の紋様」を以て八卦を編み出したという過程と、治水工事の陣頭指揮を執る禹王の前に現れた「洛書=神亀の甲羅の紋様」の発見を以て易経は体系的に発展を遂げるという過程が、「神物」を亀の甲羅、筮竹として読み進めると、河図洛書の存在及び易経発展の過程が全く無視されてしまいます。

そうではなく、伏羲は陰陽の作用を見出し八卦64卦を見出したのですから、「神」は陰陽の作用であり、「物」は卦象(八卦・64卦)として解釈すべきです。

「 天象を垂れ吉凶を見(しめ)して、聖人これに象(かたど)る。 河図(と)を出し、洛(らく)書を出して、聖人これに則る。易に四象あるは、示す所以なり。 」

「天は天地間で繰り広げられる“生成化育”“還元再生”を現象として示す。聖人(ここでは伏羲)はそこに“吉凶”を見出しこれを八卦・64卦として定めていった。黄河の激流の中より現れた神馬の背の紋様より河図を見出した伏羲と、その治水にあたっていた禹王の前に使わされた神亀の甲羅に洛書を見出し、ここを以て易経は初めて体系づけられ聖人が理解するに至ったのである。易に四象があるがこの考えの裏付けとして、河図洛書は示されたのである。」

既に読み解いてきた通り、吉凶は善悪ではなく“生成化育=吉”“還元再生=凶”でありますから、易占という方法の確立の前提として、伏羲の体系立てた八卦・64卦の成立を待たなければなりません。

さらにここに示されたのが「河図洛書」であり、「河図=先天八図」の解読を以て、易の理数、四象、八卦が定まり、 「洛書=後天八図」の解読を以て八卦から64卦への発展の裏付けが取れたわけです。

この句の後半の「四象」は、四季であり四時であり、日月が巡る所の東西南北の方位であります。伏羲が見出した先天八図は天地の成り立ちを表した…いわば空間認識でありますが、後天八図の成立を以て「時」の概念が加わり時空認識へと発展を遂げます。

ここを以て初めて人は「過去」「現在」「未来」という概念を意識して、そこから「未来」を予測するという需要が生じ、易占の発展を見ます。そうでなければ「占い」というものが生じる順序が成り立ちません。

「 辞を繋(か)くるは、告ぐる所以なり。これを定むるに吉凶をもってするは、断ずる所以なり。」

「周の文王及び周公旦は、これら易の卦象や爻に辞をかけ、その吉凶をより明確に表した。これをも持って易占を通じ、人間は未来を予測することができるようになったのである。」

周の文王、及び周公旦の易経の人語への訳についてはすでに読み解いてきたとおりであります。

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