易経「繋辞下伝」を読み解く18

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く18

尺蠖(せきくわ)の屈するは、もって信(の)びんことを求むるなり。竜蛇(りょうだ)の蟄(かく)るるは、もって身を存するなり。義を精(くわ)しくし神に入るは、もって用を致すなり。用を利し身を安んずるは、もって徳を崇(たか)くするなり。これを過ぐる以往(いおう)は、いまだこれを知ることあらず。神を窮め化を知るは、徳の盛(さかり)なり。(繋辞下伝第5章第3節)
「尺蠖(せきくわ)の屈するは、もって信(の)びんことを求むるなり。竜蛇(りょうだ)の蟄(かく)るるは、もって身を存するなり。義を精(くわ)しくし神に入るは、もって用を致すなり。用を利し身を安んずるは、もって徳を崇(たか)くするなり。これを過ぐる以往(いおう)は、いまだこれを知ることあらず。神を窮め化を知るは、徳の盛(さかり)なり。」

「尺取虫が屈するのは、次に伸びようとするためである。竜や蛇が冬眠するのは、寒い冬の寒さから自身を守り春に備えるためである。このように物事の変化の道理(易経)を精査研究して、その陰陽の作用の奥深い領域に入るのは、この叡智をもって世に活用するためである。また活用することで自身の地位を高めたり。その精神を安泰なものとするのは、その叡智をもって得た徳をますます高めようとする至善の発心である。これ以上のことは、常人はいまだこれを知ることはできない。陰陽の作用を極めて易経の変化の情理に通達するのは、徳が盛んである聖人の境地に至らなければでなければできないのである。」

前節を承けて、易経の吉凶の理を解きます。尺取り虫の移動の様子、蛇などの爬虫類の冬眠の様子を、次の段階に進む重要な段階に例えます。この説の例えは老子のこの一節に似ています。

明道は昧(くら)きが若(ごと)く、進道は退くが若く、夷道は纇(ライ)の若し。上徳は谷の若く、太白は辱(よご)れたるが若く、広徳は足らざるが若し。建徳は偸(トウ)なるが若く、質真は渝(か)わるが若く、大方は隅無し。大器は晩(おそ)く成り、大音は声希(かそけ)く、大象は形無し。(老子道徳経第40章)

一見相反する作用に連続性を見出す作業を、易経は好み老子もまたこうした表現をしばしば用います。

老子のこの章の解釈は、

「およそ“道”と言うものは、また明暗が定まっているようで定まっておらず、色も定義できず、進んでいるようで退いているようでもあり、満ち足りているようで、一方では不足している。大きな音がするわけでも、これが道だ…と定義すべき形も無い。ただそれがある…と言うことを感じる他に“道”を知る手段はないのである」

とします。

繋辞下伝のこの説は、前節の「沢山咸」の四爻の爻辞を引き合いに、易経を活かすためにはまずその変化の兆しや、その時に求められる「徳(卦徳)」を感じる必要があると解きます。

尺取り虫が身をたわめて屈するのは、そこに進むべき道があることを感じているのであるし、蛇や爬虫類が冬眠するのは、冬の到来を感じ、また冬の後の来るべき春の到来を感じているからです。

易経は乾為天から離為火に至るまでを「上経」とし、これはこの世界、地球の成り立ちを解くとされます。いわば神話の世界観でしょう。

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一方で「下経」は上経を承けての人間の世界の形成を解きます。その下経の1番初めに「沢山咸」の卦があるのは、物事の変化の兆しを捉え、行動を促したり、抑制したりする「吉凶(陰陽の作用)」を五感で認識することが、第一義的に求められるからです。

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その上で感じたことの積み重ねが「経験」となり、実生活に易を活かすことにつながることになる。なぜなら、この沢山咸の次に「雷風恒」の卦が置かれ、様々な変化の兆しには、ある一定の法則性(恒常性)があることを人間に悟らせようと易は促します。

日月が巡る法則性を感じ、天体の運行がもたらす変化を感じ、そこに法則性(道理)を見出すことで、人間は易経に触れ、活かすことを知り得ます。

更に進めて易経の道理に通達することは、神(陰陽の法則)の道理に通達する事であり、その道理に通達すると同時に、易経の陰陽の作用が大いなる生の営みで、その本質が至善であることを悟るに至る。これが人間に徳を積むことを促す易経の活用術で、はるか高みにある聖人に至る“道”を孔子はこの節を以て指し示しています。

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