易経「繋辞下伝」を読み解く37

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く36
繋辞下伝第8章第2節

易経「繋辞下伝」を読み解く37

「初め其の辞(ことば)に率(したが)いて、其の方を揆(はか)れば、既に典常(てんじょう)有り。荀(いやしく)も其の人に非(あらざ)れば、道、虚(むな)しく行われず」(繋辞下伝第8章第3節)
「初め其の辞に率いて、其の方を揆れば、既に典常有り。荀も其の人に非れば、道、虚しく行われず」

「易経を學に当り、始めの内はその掛けられている卦辞や爻辞に従って読み進めれば、千変万化する易経の変化の中に、ある一定の法則を見出すことが出来るだろう。

しかし、それを知ったから易経を理解したということにはならない。

仮にその変化の法則を見出した、悟ったと認識するその瞬間に、さらにその先へ変化しているのが易経である。そこに一切の人為は介さない。(だから易の法則を使って、何かを成そう、何かを得ようとするのではなく、易経の流れに従って素直に己を任せることが易経を体得するということなのである)」―()部易照補足

「時の流れに身を任せる」

非常に難解な一節です。

流れに身を任せる | ねおのスピリチュアル体験日記

解釈も人それぞれに分かれる一節で、易経を体得するのであれば「徳」を高めることだという解釈や、易経は魔法の杖ではないのだから、それを学び続けその真理にたどり着いてこそ、それが活かせるのだ…と、なんだか納得できるような納得できないような曖昧な解釈に終始しています。

()部を補足したのは、易経の陰陽の作用には人為は働かない。そこに何かを成そうという意識は働きません。ですから人間が易経の変化の法則を利用して何かを成そう。何かを得ようとそこに人為がはたらくと、するりとその両の手からすり抜けてしまうのが易経の真理です。

ちょうど彼方にかかる虹のたもとまで行こうと足を進めても、現地に付くとそこには何も無い…このような様子です。

「時の流れに身を任せる」…これは何も消極的なことではなく、時代の流れ、時の起こす波を知りそれに自らを乗せること。それも上手に乗りこなさなければ、転覆したり漂着してしまうので、実に微妙な舵取りが必要です。

易経の卦をさかのぼって解釈することは可能ですが、その変化に逆らって今の卦から前の卦に戻すことはできません。

乾為天から火水未済に至る一環とした一方向の64卦の変化の流れに、人間は身をゆだね前に、先に進むしかないのです。

易経を体得するということはあらゆる事象が易経64卦のどの卦象の時、それもどの爻に当たるのかを察知し、予め進むべき方向性に適切な舵を切ったり、立ち位置を知り訪れる変化を予測することです。

これは事象ごとにその時に中(あた)る卦象は異なります。

病氣の事、商売の事、人間関係の事、天候、収穫物の多寡、国運、経済等々

その時、その事象に応じて易の卦象のどの卦に中るのか、どの爻に中るのかを見極めて判断をする。

そこにこうあるべきだ、こうなってほしいという人為は全く通用しないのであるから、故に「道、虚しく行われず」なのです。

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