易経「繋辞下伝」を読み解く22

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く22

善積(ぜんつ)まざれば、もって名を成すに足らず。悪(あく)積まざればもって身を滅ぼすに足らず。小人は小善をもって益なしと為して為さざるなり。小悪をもって傷(そこな)うなしと為して去らざるなり。故に悪積みて掩(おお)うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、校(かせ)を何(にな)いて耳を滅(やぶ)る、凶なり、と。(繋辞下伝第5章第6節)
「善積(ぜんつ)まざれば、もって名を成すに足らず。悪(あく)積まざればもって身を滅ぼすに足らず。小人は小善をもって益なしと為して為さざるなり。小悪をもって傷(そこな)うなしと為して去らざるなり。故に悪積みて掩(おお)うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、校(かせ)を何(にな)いて耳を滅(やぶ)る、凶なり、と。」

「善徳を積まなければ、一生を費やしても名声を成すにはたりない。悪徳を積まなければ、身を滅ぼすような禍は起こらないだろう。小人は小さな善徳を行うにしても、自分に益がないと行なおうとしない。一方で、小さな悪徳は自分の身が傷つくことがないとなると、軽率にも行ってしまうものである。だから小さな悪徳が積み重なっておおい隠せなくなり、罪が大きくなってもやめないのである。火雷噬嗑の上爻の爻辞にいう、 “校(かせ)を何(にな)いて耳を滅(やぶ)る、凶なり (耳が隠れるぐらいの大きな首枷を掛けられて行動を束縛されてしまう。言うまでもなく凶である)”と言うのである」

前節を承けて、火雷噬嗑の爻辞の引用します。およそ志の小さな小人、凡人は人が見ていないからと、つい魔がさして小悪を無意識的に重ねてしまいます。

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善悪も“積小為大”

易経の冒頭の卦にあたる「坤為地」の初爻に「霜を沓みて堅氷至る」の爻辞が見え、柔らかい霜であっても繰り返し踏み固めれば根雪のような硬い氷と化してしまうことを、小人の悪事に例えこれを戒めます。

ちょうど冬至を過ぎて、一陽来復、少しずつ陽が長じてきていても、人々の目にはその変化はハッキリとはわかりませんが、土中では確実に植物の種子が芽吹き根をのばしています。このように小さな変化の積み重ね、いわば易の爻が積み重なって一つの卦象を形成するように、人の営みもまた小さな善、あるいは悪の積み重ねが大きな「結果」を招くのです。

この様子を易経下卦33経の天山遯から35経の火地晋までの流れで読み解くと以下の通りとなります。

易経は小善を鼓し、小悪を質す

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小悪を犯すことを重ねていると、その感覚がだんだんとマヒしていき、本来犯すはずのない犯罪に手を染めてしまう。

ちょうど易経の下経の33番目の天山遯は、そういった小悪を追求する捕縛の手より逃れ続け、段々とその小悪が大胆になる。

これが34番目の卦、雷天大壮の時であり、一方で35番目の火地晉に至れば、その罪が白日の下の晒されます。

天山遯は逃れ退く卦で、陽が陰に追われ衰退していく様子を表します。

陰陽消長卦では天山遯の前が天風姤と言う卦で、六爻全陽の乾為天の卦にスッと一陰が紛れ込む。この段階が坤為地の初爻である「 霜を沓みて堅氷至る 」の段階ですから、こうなる前に悪事を働こうとする小人が反省すれば、元の乾為天の卦徳を維持できます。しかし一歩進めて悪事を積み重ねてしまえば、もう後には戻れない。

味を占めて、悪事に悪事を重ねてしまう様子は、暴走して取り返しのない失敗をしかねない「雷天大壮」です。

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火地晋の四爻には「晉如鼫(せき)鼠(そ)」の爻辞があり、表に現れることなく悪事を積み重ねる小人の様子を表します。しかし、火地晋の上卦は離で明知。法律を意味し、明々白々の法の明かりにより、小人の悪事は白日の下にさらされ、小人の悪事は法に依って裁かれることになります。上爻には「維(これ)用伐邑」の爻辞があるので、追い詰められた小人がついに罰せられる様です。

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この過程を孔子は「 悪(あく)積まざればもって身を滅ぼすに足らず 」と逆説的に説き、小人がそういった悲劇を免れるために、「刑罰」という法制度を以てその行動を戒めている…と解説する。

それがこの節の最後、火雷噬嗑卦の上爻の爻辞「校(かせ)を何(にな)いて耳を滅(やぶ)る、凶なり」を引用し、これを警句とします。

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