易経「繋辞下伝」を読み解く35

易経繋辞伝
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易経 繋辞下伝を読み解く34
繋辞下伝第7章第4節

易経「繋辞下伝」を読み解く35

易の書たるや遠くすべからず。道たるやしばしば遷る。変動して居(とどま)らず、六虚(りくきょ)に周流(しゅうりゅう)す。上下すること常なく、剛柔相い易(かわ)る。典要となすべからず、ただ変の適(ゆ)く所のままなり。(繋辞下伝第8章第1節)
「易の書たるや遠くすべからず。道たるやしばしば遷る。変動して居らず、六虚に周流す。上下すること常なく、剛柔相い易る。典要となすべからず、ただ変の適く所のままなり。」

「易経を崇高な哲学の書、聖典の様に崇め奉るように、遠いものとしてはならない。易の道はしばしば変化するからである。変動してとどまらず、六つの爻位に広く行き渡る。位を上下して一定の箇所の留まることは無く、剛(陽)柔(陰)が互いに変わる。定まった基準や一定の法則は無く、ただ変化のゆくところに任せるしかないのである」

生活の中に易経を見出す

近隣の農家に頼まれて、収穫後に伸びてしまってそのままの枯草の処理を頼まれて草刈りをしています。

季節的には大寒を過ぎたばかりですから、寒さの一番厳しい時期ではありますが、易経の時間的流れの中では、陰が極まる坤為地、冬至を過ぎ日の出日没の時間が少しずつ伸び、易の卦象では地雷復に当たる時期です。

表面上は倒伏した枯草が積み重なる荒涼とした冬の田の畔ですが、枯草を刈って脇に寄せると、その下では既に春に向けて植物が発芽の準備に芽を膨らませています。

仰(あお)いでもって天文を観、俯(ふ)してもって地理を察す。この故に幽明の故(こと)を知る。(繋辞上伝第4章第1節)

易経の変化は極めて微細なところから変化していきます。

64卦象のなかでも吉卦とされる「地天泰」。泰の卦名が示すように安定、安泰の時が続く吉卦においても、三爻の爻辞には

平らかにして陂(かたむ)かざるなく、往(ゆ)きて復(かえ)らざるなし。艱貞(かんてい)なれば咎(とが)なし。恤(うれ)うる勿(なか)れ、其(そ)れ孚(まこと)あれ。食に于(おい)て福(さいわい)有り。

安泰な時の中に「平かにして陂(かたむ)かざるなく、往(ゆ)きて復(かえ)らざるなし。(なだらかな平野がいつまでも続くことは無く、過ぎ去った季節が戻ってこないこともない)」とその変化の”兆し”を読む者に想起させ戒めます。

目に見えて、耳に聞こえてきた段階ではすでにその変化は確定的で、そこで対処するのではできることは限定的です。

むしろそうなる前に準備、対処することを易経は教え諭すのです。

易経を生業にしていますと、常々思うことは、便宜的に書物の形態をとっているが、易経の本質は「読む、見聞きする」ことではなく、直感的、本能的に感じることが大切です。

易占で出した卦象を、卦辞、爻辞を以て吉凶を断じる前に、その卦の象(形)から吉凶を感じ取る感覚が大切で、「五行易」のおける納甲も、周易における卦辞爻辞による占断も、最初に感じた吉凶の断の裏付けを取っていくような感じです。

勿論、日々の生活の判断、決断を下すのにいちいち占ってきてはキリがありませんから、その感覚をそのままに生かす。

「典要となすべからず、ただ変の適(ゆ)く所のままなり」

この一節、易経の変化に一定の基準や法則性はなく、ただただ変化の移ろいに身をゆだねるしかない…と消極的に解釈するのではなく、その変化の中においても64卦のどの時に中るのか?ここを理解するだけでも、その卦における卦徳を以てすればいかなることにも対処できる…これが易経の根本の教えです。

すでに触れてきた前章の「天沢履、地山謙、地雷復、雷風恒、山沢損、風雷益、沢水困、水風井、巽為風」の9卦の様に、64卦の卦象において何を成すか、その卦徳を以て身の処し方の方向性を探ること、安泰の時にあっては危機に備え、苦境の時に在っては希望を見出すように、その時の心情、環境に胡坐をかいてただただ座していては、変化に取り残されてしまうことを、「典要となすべからず、ただ変の適(ゆ)く所のままなり」と孔子は戒めるているのです。

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