桜田虎門「五行易指南」現代語訳37

「五行易指南」現代語訳
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桜田虎門「五行易指南」現代語訳36
貪生忘剋、貪合忘剋の説

桜田虎門「五行易指南」現代語訳37

巻2 物来我就、我去物尋

およそ動爻より世爻を剋する時は、自分自身を害すると解釈するので凶と断じるが、例えば

待ち人を占ったり金銭を求めるような時の占にあっては、用神が発動して世爻を剋することは、相手や金品が自分に向かい来るという意を表す。これを「物来我就(ものきたってわれにつく)」と言い、吉象と取る。

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用神が動き、世爻を冲したり、合する時も同様に用神が自分を尋ね訪れるという意味に取り、事の起こりの早い遅いはあるが同様に吉とする。

一方で、用神が発動する者の、世爻を生剋合冲しない場合は「我去物尋(われゆきてものをたずぬ)」といい、人、物共に得難いと断じる凶象である(※)。

※世爻が発動して用神を剋したり合冲する場合を指す。およそ占って旺相の用神が発動する場合は、世爻への生剋合冲がなくても吉象と断じることが出来る。「我去物尋」とは世爻から発動して用神に働きかけることであり、この部分は虎缶子の誤りとして正す。尚、世爻が用神を生じる関係は、世爻が原神を帯びるのであり、これは本人の努力でことが成るという吉象に断じる。
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