易経「繋辞上伝」を読み解く⑱ 

易経繋辞伝
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易経「繋辞上伝」を読み解く⑱

初六、藉(し)くに白(はく)茅(ぼう)を用ふ。咎无し。子曰く、苟(いやしく)も諸(これ)を地に錯(お)きて可なり。之に藉(し)くに茅(ちがや)を用ふ。何の咎か之れ有らん。愼むの至り也。夫れ茅(ちがや)の物たる薄けれども、用は重かる可き也。斯(こ)の術を愼みて以て往けば其れ失ふ所无し。(繋辞上伝第8章第5節)

「風沢中孚」「天火同人」の引用で始まった解説は、次に「沢風大過」の初爻の引用に引き継いで孔子はその解釈を進めます。

「 初六、藉(し)くに白(はく)茅(ぼう)を用ふ。咎无し。 」

沢風大過は家の中に居て、その家が強風に吹かれ家全体がギシギシ揺れている様子です。あるいは下卦の巽(木)が上卦の兌(沢)の下に在り、木が水没する様子から大嵐であり「大過」の卦名がついています。

「沢風大過」の象伝に孔子自ら「君子以て独立して懼れず。世を遯(逃)れて悶ゆるなし」と言葉をかけていることから、この卦を大きな「坎(水)(=険阻・困難に例える)」に見立て、そのような時、苦難や迫害を受けるような時の君子の身の処し方を、初爻の爻辞を引用して解説します。

この節大過の卦の初爻は祭祀の様子を表し、「祭壇に供える供え物の器の下に敷く茅(ちがや)は辺りにに生えている雑草にすぎないけれども、供物を直接地面に置くのではなく、その敷物として用いる、その天(神)に対する敬心や真心が大切であって、そのような心構えであれば天に意が通じゆえに“咎なし(誤りではない)”」と説きます。

他者が気づかない価値を見いだす

 

 

「 子曰く、苟(いやしく)も諸(これ)を地に錯(お)きて可なり。之に藉(し)くに茅(ちがや)を用ふ。何の咎か之れ有らん。愼むの至り也。夫れ茅(ちがや)の物たる薄けれども、用は重かる可き也。斯(こ)の術を愼みて以て往けば其れ失ふ所无し。 」

「そもそも祭祀を行うに当り、供物を地面に直接おいてはならないという決まりはないし、そこに豪奢な敷物を用意しなければならないという決まりもない。しかしそこに例え粗末な茅であっても直接地面に置かず、茅の上に供物を載せて神にささげる、このような天(神)に対する慎み、畏敬の心構えがあれば、どうして天は祭祀を行う者に罰を下すであろうか?

茅はその辺りにいくらでも生えているようなありふれたものであるけれども、大切な神事にそれを用いる…時としてありふれた茅ですら重要な役割を果たすことがある。このように他者が価値を見出さないような事物にも価値を見出し、それを活かしていくような心構えがあれば、大過のような苦難・困難にあってもそれを乗り越えていくことができよう。」

 

孔子はその半生においてしばしばその命を脅かされたり、衣食に困窮するような事態にも遭遇しています。そのような時にあったとき、弟子の一人が「君子も苦しみ悶えるような事があるのですか?」との質問に対し、孔子はこう答えます。

君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。(『論語』衛霊公)

泰然と弟子の質問にこう答えた孔子の心中には、

「周りを見ればまだ自分が活かし、その価値を見出していないものがたくさんあるはずだ。それらを見出し、活用できればいかなる苦境も乗り越えられよう」

というこの大過初爻の爻辞に基づく、孔子自身の確固たる自負があったはずです。

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