易経「繋辞上伝」を読み解く20

易経繋辞伝
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易経「繋辞上伝」を読み解く20

亢龍、悔有り。子曰く、貴(たつと)けれど位无く高けれども民无く、賢人、下位に在れども輔(たす)くる无(な)し。是(ここ)を以て動きて悔有る也。(繋辞上伝第8章第6節)

前節「地山謙」を受けて、苦難の末その努力が報われた君子が辿ってはならない道を、警句として「乾為天」の上爻を引用します。

とかく人はその苦労が辛く、重く、その期間が長ければ長いほど鬱屈したものを溜めこみがちです。時として「時代が自分の考えに追い付いていない」とうそぶくこともあります。

それが晴れて一つの成功を収めた時、有頂天になり行動も言動も歯止めが効かなくなることがある。これを「乾為天」の上爻「亢龍悔い有り…龍が天高く昇り続け、自ら纏う雲すらはるか眼下に残して来てしまった。後悔は先に立たず。上り続けた龍は下るより他なく、その君徳は地に落ちるほかないのである」を以て戒めます。

この「亢」の字に後年の儒教を襲った悲劇「焚書坑儒」の「 坑 」を、孔子は半ば予言していたと思えてなりません。

諸説ありますが、秦が中国全土祖統一した時、秦の「法治主義」に半ば対抗する形で「儒教」が巷間に広まっていきます。

それは儒家の恣意ではなく、戦乱が収まり中国全土が平穏を取り戻した時代に在って、ようやく人々が戦争という生命の危機におびえずに、「生き方」というものに向き合う時間的なゆとりを得、そこに儒教の考え方が浸透していった結果でもあります。

一方で図らずも、孔子が至った「仁」の教えが時の為政者に受け入れられず、また万民にも共感を得ることなく、一部孔子を信奉する儒家たちの間にのみ伝わっていた儒教受難の時代が終焉し、ようやくその教えが受け入れられる時代が到来しました。

その時、鬱屈とし悶々とした時を永年強いられてきた儒家たちにとって、そこに至った解放感から反動としての「驕り」が全くなかったとは言えないと思います。

「時代がようやく孔子の思想に追いついた!」

それを驕り高ぶりと評するには賛否両論あるでしょうが、儒教の広まりはその方向性と熱の高まりから、一方で統治者の目には危機として映ったでしょう。

「 子曰く、貴(たつと)けれど位无く高けれども民无く、賢人、下位に在れども輔(たす)くる无(な)し。是(ここ)を以て動きて悔有る也 」

(理想を語ってはいても)気位が高すぎて民は付いてこない、それを咎め諫める者はいるがその声は届かない、ついには破滅に至るのだ…。

亢(こう)の言たる、進むを知って退くを知らず、存するを知って亡(ほろ)ぶるを知らず、得るを知って喪(うしな)うを知らざるなり。(易経文言伝用九第6節)

孔子は、乾為天の「文言伝」で「亢」とはを進むことを知って退くことを知らない、生あるも死があることを知らない、得ることを知って失うことを知らないことである…と解説します。

焚書坑儒の受難を前に、儒家たちの活動にその「退く」「亡びる」「喪う」の危機意識はなかったのか?ひょっとすると「時代到来!」の高揚感に包まれ「自制」という理性や概念を失ってしまっていたのかもしれません。

手の表情の写真

中には為政者の危機感を察知し、その運動に警鐘を鳴らす者もいたでしょう。しかしその音は高揚する儒家たちの耳には届かなかった…「 賢人、下位に在れども輔(たす)くる无(な)し。 」

そして始皇帝による弾圧の前に、処断される儒家たちを民衆が匿う動きもひょっとしたらなかったのかもしれません…「 貴(たつと)けれど位无く高けれども民无く 」

この一句、短いですがおそらく易経の摂理から弟子たちが辿るであろう一方の破滅の道を予見し、そこに進んではならぬと半ば予言として引用した孔子の警句のように感じます。

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