易経「繋辞下伝」を読み解く11

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く10
繋辞下伝第2章第8節

易経「繋辞下伝」を読み解く11

木を断(き)りて杵(きね)と為し、地を掘りて臼(うす)と為し、臼杵(きゅうしょ)の利、万民もって済(すく)うは、蓋しこれを小過に取る。(繋辞下伝第2章第9節)
「 木を断(き)りて杵(きね)と為し、地を掘りて臼(うす)と為し、臼杵(きゅうしょ)の利、万民もって済(すく)うは、蓋しこれを小過に取る。 」

「木を切って杵を作り、(地)石を穿って臼とすることで、万民は穀物を精製してより加工しやすくなった。おそらくこれは“雷山少過”の卦象を参考に思い付いたものであろう」

雷山少過の上卦は「震(木)=動」の象意があり、下卦の「艮(山)=止」の象意を以て、穀物の精白に使用する杵と臼に例えます。初爻と二爻、五爻と上爻の陰爻(- -)が石臼に刻まれた波状の歯で、中央の二つの陽爻(—)が杵に当たります。

三爻、四爻、五爻で「兌(よろこぶ)」の互体が取れ、また二爻、三爻、四爻で取れる「巽(従う)」より精白された穀物を口にして喜ぶ万民の姿です。

卦象全体で「坎(水)」を表すこの卦は、農耕にはやはり「水利」が重要であり、前節で読み解いた「地水師」の時、水利をめぐって相争ってばかりいては肝心な農耕に力をそそげません。だから地水師の次の卦に「水地比」が置かれ、「争えば足らず、分け合えば余る」の教えを易の卦象を以て説明しようと試みます。

木に弦(つる)して弧(ゆみ)と為し、木を剡(けず)りて矢と為し、弧矢(こし)の利、もって天下を威(おど)すは、蓋しこれを暌に取る。(繋辞下伝第2章第10節)
「 木に弦(つる)して弧(ゆみ)と為し、木を剡(けず)りて矢と為し、弧矢(こし)の利、もって天下を威(おど)すは、蓋しこれを暌に取る。 」

「木の棒に弦を張って弓を作り、木を削って矢を作り、弓矢の武威を以て害敵に対する備えとした。おそらくこれは“火沢暌”の卦象を参考に思い付いたものであろう」

「火沢暌」の卦は上卦は「離(五行=火)」で下卦は「兌(五行=金)」であり、この節で解説する「木を加工する」という所の木の要素は、互体をとっても卦象に見られません。これまでの解説では卦象の八卦や互体より該当する五行を以て解説をしていたに比べると、この節の解説は趣を異にします。

但し上卦の離(火)は上昇し、下卦の兌(沢=水)は下降する。卦象全体は上卦と下卦で相背きあう形であり、これを以て弓の孤と弦のそれぞれの反発力を利用する弓の原理をこの卦象に充てたとする孔子は解説します。

一説には、二爻と上爻の陽爻(—)を以て弓の孤とし、三爻と五爻の陰爻(- -)を弓の弦、四爻の陽爻(—)を矢と見立てるという解釈と、上卦の離は武器、武威の表れであり、下卦の兌はその武威を前に従う様子を表すというが少々説明に無理がある節に感じます。

本来武器(軍事)は使用するものではなく、それを所持していることを示すことで相手の動きをけん制するところに意義があります。

これを老子は

夫れ兵は不祥(ふしよう)の器(うつわ)にして、物或(つね)にこれ悪(にく)む。故に有道者は処(お)らず。(老子道徳経31章)
「軍事というものは不吉なものであるから、人はこれを常に忌み嫌っている。だから道をわきまえた物はめったに使用しない」

と定義します。

古来中国では、戦わずして相手が退散し勝利を収めることを美としますから、伝家の宝刀は抜かずに所持する事に意義があるのです。従って、この火沢暌の卦象に「弓矢」発明の起源を求めるのであれば二爻、三爻、四爻で「離」をとり上卦の離と合わせて「離為火」とする。これを以て武威を示し、外敵をけん制しその害意を封じる「明智」と解釈することがより自然でしょう。

この節の解釈は非常に難解です。

おそらくこれは戦争という概念のない時代に成立した易経と、戦乱の世に易経を読解した孔子の、その認識のギャップにより生じた孔子の迷い、逡巡を感じさせる一節です。

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