易経「繋辞上伝」を読み解く44

易経繋辞伝
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易経「繋辞上伝」を読み解く44

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易経「繋辞上伝」を読み解く43
易経繋辞上伝兌12章 いよいよ最後のまとめに入ってきます
この故にそれ象は、聖人もって天下の賾(さく)を見ることありて、これをその形容に擬(なぞ)らえ、その物宜(ぶつぎ)に象(かたど)る。この故にこれを象と謂う。聖人もって天下の動を見ることあり、その会通(かいつう)を観て、もってその典礼(てんれい)を行ない、辞を繋(か)けてもってその吉凶を断ず。この故にこれを爻と謂う。(繋辞上伝第12章第5節)

この節は繋辞上伝第8章の一節、二節と全く同じです。朱熹は文を重ねて強調しているのだと解釈し、江戸時代の儒学者、佐藤一斎は誤りであるから削除して解釈すべきだと説きます。

ここは前者朱熹の解釈に倣い、これまでを振り返るとともに、この節は同文を挿入して最終節へ誘うものとしてそのまま解釈すべきでしょう

易経「繋辞上伝」を読み解く12
易経繋辞上伝を読み解く第7章節の無い身近易照ですが、駅を学ぶ意義が込められた重要な章です  
易経「繋辞上伝」を読み解く13
易経繋辞上伝を読み解く第8章第2節周の文王が人語に訳した易経の意義を説きます

天下の賾(さく)を極むるものは卦に存し、天下の動を鼓するものは辞に存す。化してこれを栽するは変に存し、推(お)してこれを行なうは通に存す。神にしてこれを明らかにするは、その人に存す。黙してこれを成し、言わずして信(まこと)あるは、徳行に存す。(繋辞上伝第12章第6節)

最終節です。繋辞上伝で孔子が説き明かしてきた易経の本質、それを用いてあるべき人間の姿を説きます。

「 天下の賾(さく)を極むるものは卦に存し、天下の動を鼓するものは辞に存す。 」

「天下(=宇宙)の真理、その本質を極めつくしているところのもの、それ等は64卦にすべてが網羅されており、その卦が示す卦徳において、物事が進むべき方向性、その変化の行く末を卦辞や爻辞によってあらわしている」

「賾」とは「深淵なる」という意味で、老子が「 夷 ・ 希・ 微 」と表現した宇宙の根源にある「道」です。太極は道の後に生じた陰陽の作用であることは前々節(繋辞上伝を読み解く㊹)で読み解いた通りです。

一方でこの「賾」は「策」でもあり、第9章でその占筮法を詳らかに孔子自らが解説してきた所です。

則ちこの一句、64卦象を理解することでこの世界に存在するあらゆることを理解表現できるし、これを占筮で用いれば事象の原因や、あらゆる物事の未来を予測することができると説く。吉凶は易経の解釈からすれば「生成化育」「還元再生」であるけれども、一方でまた吉凶を以て人間のその活動を鼓舞したり、一方で慎重を促しその活動を制したりします。

「 化してこれを栽するは変に存し、推(お)してこれを行なうは通に存す 。」

「あらゆる物事は停滞することなく、変化し続ける。その一瞬一瞬を卦を以て表しその変化を予測し、それに適った行動規範とすることを“通=亨”というのである」

易経とはその物事を64卦のどの卦に当たる(中る)のかを感じ、またその行く末をその卦を之卦や互卦、綜卦、錯卦に変化させることで原因と結果、またその行く末を予測する。また一方でその卦徳より物事が「生成化育=吉」の状態にあるのか、「還元再生=凶」の状態にあるのかを卦辞や爻辞より断じ、それを人間の活動に活かしていく。

ここで孔子の用いる「通」はしばしば易経の卦辞に現れる「亨」です。

通達であり物事が成就する様子です。老子はこれを「微妙玄通」(老子道徳経第15章)と表現します。

感じ得た卦、あるいは占って得た卦の吉凶を以て良しとするのではなく、その卦が内包する微細な変化「之卦・互卦」を察し、その変化の中から物事の行く末や帰結「綜卦・錯卦」以てを断じること。

生き方や行動に移してこそが易経を活かすということですから、易経は哲学の書や占いのマニュアルにとどまっては成らず、その伝えんとする宇宙識に通達する事、これが「通=亨」です。

「 神にしてこれを明らかにするは、その人に存す。 」

「陰陽の働きを以てそのあらゆる森羅万象を解き明かする、これができるのは易経の本質を理解し、それを体現できる人、則ち聖人である。」

孔子の序列の中には1に「天」があり、2にその天の力を受けて作用する「神」があり、3にその天と神が成す易経の本質を理解体現する所の存在の「聖人」がいる。その聖人を目指すべく過程として4に「大人」があり、5にその前提の「君子」の存在を上げます。

易経「繋辞上伝」を読み解く38
易経に登場する「神」には本来人格が存在しません。孔子は便宜的に人格を持たせますが、その役割はあくまでも万物を創造し、一方で役目を終えたものを還元再生しながら、生成発展を繰り返す…その作用その物が「神」なのです。

すでに読み解いてきたように「神」は西洋の一神教のような全知全能の神ではなく、奇跡を起こす存在でもありません。そこには陽の働きを成す存在と、陰の働きを成す存在の両者があって、各々 宇宙根源の「道」に法りその本分を尽くす。これが「神道」であり、易経20番目の「風地観」の彖伝に「観天之神道」と「聖人以神道設教」の文字が見えます。

神(=陰陽)の道を表すのが「神道」であるならば、その易経の摂理を64卦に見出し、それに倣って人間社会に活かす、これが「人道」であります。

「 黙してこれを成し、言わずして信(まこと)あるは、徳行に存す。 」

「易経を語ろうとしても、言葉では語りつくせないし、書物に著そうとしてもおよそ書き尽くすことはできない。しかしそれでもそこに“易”を感じ、その作用の偉大さ、その深淵なる叡智に万民が畏敬の念を抱くのは、損得や善悪という人間の価値観を超え、ただただ純粋に本分を尽くし遺漏なく物事を成就する、その至善ともいうべき徳行があるからである。」

大学(だいがく)の道は、明徳(めいとく)を明かにするに在り、民に親しむに在り、至善(しぜん)に止まるに在り。(大学第1章第1節)

「大学」の冒頭で孔子はこう述べます。

“大学の道”…君子を目指し、そのはるか向こうにある「大人」を経て「聖人」に至る道、これが「人道」であるならば、まず易経の本質を理解する必要がある。

明徳とはそのまま「陰陽」と読み替えても理解が進みますし、民に親しむとは易占を、あるいは易経をの64卦を以て吉凶を明らかにし、天下万民を教導すること。そのためのあらゆる言動や行動に私欲や偽りがあってはならない、損得や善悪といった価値観を超えた至善とも言うべき徳行が求められるのである…

繋辞上伝の最終章のこの一節、孔子が熟考の末至った境地が込められており、この思いがやがて「大学」へと結実していくのです。

易経繋辞上伝を読み解く 了

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