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易経「繋辞下伝」を読み解く36
その出入、度をもってし、外内、懼れを知らしむ。また憂患と故(こと)とを明かにす。師保あることなけれども、臨める父母のごとし。(繋辞下伝第8章第2節)
「その出入、度をもってし、外内、懼れを知らしむ。また憂患と故とを明かにす。師保あることなけれども、臨める父母のごとし」
「人間の営みも、家の外における振る舞いと、家の中における営みにおいてその節度が異なるように、易の卦の内卦と外卦の関わりには正しい規則、節度がある。易に掛けられた種々の辞の数々は、その事を戒めているのである。
またその辞には、憂い、思い悩むその原因を詳らかにし、そのための行動を促す。
だから易経というものに精通すれば、教え導く師匠や守り役が身近にいなくても、暖かく己の身を案じてくれる父母のように、己を慈しみ育て、導いてくれるのである」
懼れても、憂えるな
出入疾无(な)し (易経24「地雷復」卦辞)
易経24番目の卦、地雷復の卦辞に「出入疾无し」の言葉がかけられています。
地雷復の卦は陰が陽を駆逐し、陰が極まったその瞬間に一陽が再び復活し、漸次陽が復活していく様子を表す卦です。
しかしその陽の復活は地中奥深くからはじまるのであり、人間の目にはそれと映らず、判然としません。ちょうど、前年の枯れて倒伏した枯草の山をかき分けると、地表から小さな植物の芽が微かに緑に色づいているのを見つける感じであり、その陽の復活は「兆し」に過ぎません。
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易は陰陽の変化、循環を表しますから、ほんの小さな兆しであっても、後戻りすることはありません。
地雷復の卦が坤為地に戻ることは無いのです。
これを繋辞下伝においては「その出入り、度をもってし」と表し、地雷復においては「出入疾无(な)し」という辞をかけます。
易経に通暁する者は、絶えず物事が移り変わり変化することは「懼れる」べきです。
現状が未来永劫ずっと永続することはあり得ないのですから、そこに安住することなくその変化をあらかじめ予測し、現状が変化することを正しく「懼れる(心配する)」べきなのです。
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しかし、その現状が変化して物事の流れが吉(発展生成)から凶(還元再生)の流れに遭ったとしても、そこに憂いを感じることは無い、遠からず凶の流れが吉に転じるのが易経であるから、そこに憂いを感じる必要はないのです。
父母がその子のそばに居なくても、遠くから子どもの成長を眺める様に、易経もまた一足一動を指導するような束縛的な指導ではなく、己自身が氣付き、悟りを得られるように暖かく、そっと人間の営みを見守っているのです。
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